カセツ タタキダイヲ テイジス-仮説、叩き台を提示す-

現時点での暫定的な解答、仮説、叩き台をここに提示す

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「表現の自由」についての見解

   

「表現の自由」ってなんだろうと考えていた。
なんでもかんでも「表現の自由に反する」みたいな言い方をしていて、それはちょっと嫌だなぁと感じていた。

最近、「表現の自由」の意味がちょっと分かってきた気がしたので、それをまとめてみる。

以前友人がこんなことを言っていた。
「人の迷惑になるようなことをするのは、アートじゃない」

僕はそれを聞いて、ちょっと的が外れていると感じた。
アートには、人の迷惑かどうかなんてまったく関係ないと思ったから。

そもそも「人の迷惑」という評価軸は、時代によって移り変わるもので。
昨日まではOKだったものが、今日からはダメになったりする。
子供の頃当たり前のように見ていたバラエティ番組が今は放送できなくなったりしていることを考えればわかると思う。

言ってしまえば。
人を殺したって、その方法や見せ方によってはアートなのかもしれない。
だけど。それは気持ち悪いし、見たくない。もちろん、実行してほしくない。実行したら捕まえてほしい。

そう考えると、「アートを否定してはいけない」みたいな考えがはびこっているところに問題があるんだと思う。
そもそもの問題の根源は「アートだから」を免罪符にしているところだと思う。
アートでも否定していい。公開することを法律で規制したっていい。
でも、表現すること自体を否定していいわけではない。

表現の自由というのは、このアートの考えと同じなのかもしれない。
(当然と言えば当然だ)
何を表現しようと自由だけども、法律で公開範囲を規制してもいい。
ただし、表現活動自体を根底から否定するようなものはしてはいけない。

どこまでOKで、どこからNGかという話は、相当難しいなと感じる。

難しいから、論点がボヤボヤになっていくんだろうなと感じた。

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