それはそれとして
つい、順接や逆接の接続詞を使いたくなる。
つまり、『だから』や『しかし』など。
でも、ふと。
順接や逆接で語ろうとしすぎなんじゃないかな?と思い始めた。
例えば、「僕らは生まれながらに孤独だ。」の後につける接続詞は。
おおよそ『だから』とか『しかし』とかだったりする。
それを、いっそのこと『それはそれとして』にしてみようというのが今回の仮説だ。
「僕らは生まれながらに孤独だ。だから…」
「僕らは生まれながらに孤独だ。しかし…」
「僕らは生まれながらに孤独だ。それはそれとして…」
「僕らは生まれながらに孤独だ。」が持っている特有の空気感が台無しな感じが否めない。
けれど、その空気感は果たして重要なのだろうか?と疑問を持つためには便利だなと気づいた。
悩んでいることやネガティブな思考に囚われている時には、思ったことを口にして。
そして、直後に「それはそれとして」を言ってみるといいんじゃないかなって話。
言ってみれば
「それはそれとして」というフレームワーク。
今日の仮説・叩き台
『「それはそれとして」と言うことによって、それまで囚われていた思考から離れることができる。』