器の大きさと折り合い
「あの人は器が大きいねぇ」
「自分はなんて器が小さいんだ」
なんていう風に使う。
たまぁーーーに、人から「器が大きい」と言われるんだけども。
(実際、そんなに器は大きくない)
そう言われることはだいたい、どうでもいいと思ってることだなと感じる。
どうでもいいことを言われて怒る人はいないわけで。
器の大きさ関係ないじゃん。と。
なのに、端から見れば、器が大きく見える。
面白い。
もう少し、深く考えると。
他の人にとっては逆鱗に触れるようなことが、自分にとってはどうでもいいことになっている。ということになる。
それは、そういった物事に対して、すでに折り合いがついているか否かなのだと思う。
もし、近くにあれば、マグカップとA4サイズの紙を用意してもらいたい。
なければ想像で。
マグカップの上に、A4の紙をのせる。
当然マグカップの口のほうが小さいわけで。
この状態は「器が小さい」と言える。
次に、A4の紙を折りたたんだ上で、マグカップの上にのせる。
1回では「器が小さい」状態だろう。
しかし2回3回と折りたためば、マグカップの中に入ることになる。つまり「器が大きい」状態になる。
器の大きさというのは、これまでどれだけの物事と折り合いをつけてきたか?によるのではないかと思う。
人から見たらどんなに大きなことでも、折り合いをつけてきた人にとってはちっぽけなものなのかもしれない。
今日の仮説・叩き台
『「器の大きさ」にとらわれるのではなく、どれだけ折り合いをつけてきたかに着目すべし』
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