カセツ タタキダイヲ テイジス-仮説、叩き台を提示す-

現時点での暫定的な解答、仮説、叩き台をここに提示す

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想う力

   

想う力ってすごいんです。

例えば、昔テレビで見たセグウェイの乗り方。
「おでこから紐が出ていて、紐を引っ張られたり、押されたりすることをイメージする」と上手に乗れるらしいです。

また、呼吸法の本を読んだり、呼吸法に詳しい何人かの話を聞いたところ。
「頭のテッペンから太陽の力を受け取って、足の裏から体中の悪いものを排出するイメージを持ちなさい」というのがおおまかなパターンのようです。

これもまた、スピリチュアルでもいいんですが。
前回に引き続き、あえてスピリチュアルじゃないと捉えて話します。

「体」は、ものすごぉーく繊細な動きをすることができます。
例えば、金属の加工をする人が、コンピュータでは計測できないレベルの凹凸を素手で触っただけで識別できたりします。

そういった繊細な動きを、「頭」で把握して行うのはほぼ無理なんだと思います。
「頭」で把握して処理をするためには、人間が取り扱える範囲の値に変換しなくてはいけません。
それはつまり、デジタル(離散的)に、「0,1,2,…」という数値で表現するようなものです。
そして、この方法では「0.5」も「0.0003」も識別できません。
なので、繊細な表現には向かないのです。

ではどうするか。
「頭」を使わずに「想う力」を使います。
「頭」では把握しきれないけど、「想う力」ならば十分に取り扱えます。
他の似た言葉で表現するならば、「イメージ」や「心」「第六感」です。

システムエンジニア的に言うならば、32bitで演算するのではなく、64bitで演算するようなものです。

なので、「想う力」を把握しきないのは当然で、把握できると思う自体がおこがましいと思ってます。

 

だから、「想う力」が体に与える影響ってすごいんです。
誰かにパワーを与えるってことが、あるのかは分かりません。
でも、自分自身にパワーを与えることになるのは、ほぼ間違いないと思います。
楽しい気分の時と、悲しい気分の時と、悔しい気分の時では、きっと筋肉に入る力加減は変わるはずですし。呼吸も変わるでしょう。
ちなみに、「想う力」がポジティブに働くことを「祈り」。ネガティブに働くことを「呪い」と世間では呼ばれているように思います。

 

「出来ると思えば出来る」というのも、ある意味では本当です。
ただどこまでも無限に出来るわけではないです。
前提条件(重力などの物理法則、肉体的な限界、時間的制約など)の影響を受けた上で、可能な範囲で実現可能だと思います。

今日の仮説・叩き台
『肉体のコントロールは「想う力」を使え。』
『「祈り」と「呪い」は同じもの。』
『精神論は前提条件の限界値までは適用可能。』

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