真実を求めたいのか
あるいは、登場人物を消費したいのか。
オリンピックエンブレム問題を見ていて感じたことは、そこだったりする。
たぶん登場人物を消費したいんだと思う。
きっと、育てるなんて発想はないんだろうなぁ
何か問題があれば、ネタとして遊ぶ。
飽きるまで遊ぶ。
飽きそうになったらさらに火種を追加する。
そうやって、カラッカラの灰になるまで遊ぶ。
面白みがなくなったら、ポイっと捨てる。
危機的な状況だなぁと思う。
やってることはイジメと変わらない。
なのに、自分たちが加害者だという意識はない。
何故ならば、問題を起こした奴が悪く、自分は正義だから。
これは、かなり危機的な状況だな。
本当の悪者は、そこまでされてものうのうと生きていける。
あるいは、吹っ切れた人もまた生きていける。
しかし、それができない人は死を選ぶことだってある。
死んだら、同情してもらえることもある。黙殺されることもある。
その構図は、ちょっとした魔女狩りのようだと思う。
死んだら無実。
生きている限り、飽きるまで火炙り。
どう思っているのだろう。
人の気持ちを考えなさいと叱る人々は何を思うのだろう。
今日の仮説・叩き台
『問題を犯したものは、罪があろうとなかろうと関係なく、有り余るほどの罰を受けることになる。その期限は飽きるまでか死ぬまでになる。』
『人を消費する世の中では、最終的に人がいなくなっておしまいになる。』
『間違えたことをしたら、叱り、育てる世の中にならなければいけない。』