カセツ タタキダイヲ テイジス-仮説、叩き台を提示す-

現時点での暫定的な解答、仮説、叩き台をここに提示す

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社会は井の中の蛙になることを求めている

   

家庭で育って、学校に行くようになって、会社に勤めるようになって。
そうやって身につくことは、身につけなくちゃいけないことは、空気を読むということで。
それは「ある特定の空間」での「最適な振る舞い」を覚えるということで。

けれど、その中で暮らしているうちに、「ある特定の空間」が当たり前の空間になっていく。
「ある特定の空間」であることを忘れていく。
複数の空間を行き来してれば、そのことを思い出せるけれど。
家庭と学校。家庭と職場くらいで生きていると、思い出せずに何年も、何十年も暮らしていくことになる。

すると、「ある特定の空間」での「最適な振る舞い」ではなく。
ただ「最適な振る舞い」をしている気分になる。

これがまさに、井の中の蛙の状態なんだと思う。

だけど。
よくよく考えると、井の中の蛙であることを求めてくる人は多い。

枠からはみ出ることを良しとしない学校。
規律に従うことを求め、規律に従わせるというリーダー像を提示する会社。
自分以外の異性とは話すなという恋人なんてのもそうかもしれない。

井の中の蛙であってくれたほうが管理しやすいから。

井の中の蛙になれるおりこうさんも、井の中の蛙になることを拒絶して井戸の周りで騒いでいる人も。
どちらも、井戸の呪いに囚われてるんだと思う。

経験上、井戸から出るための扉を開くスイッチは、井戸の底にある。
落ち込んで落ち込んで、沈みきった時。
このままじゃダメだって思った時。
スイッチを押せるんだと思う。
そうすると、井戸から出て行くことが出来る。

ただ。
往々にして、井戸の外は、別の井戸だ。

生活してきた環境の移り変わりの分だけ、井戸がある。
会社の井戸、学校の井戸、家庭の井戸。
生活してきた環境の移り変わりの分だけ、井戸を逆順に出て行くしかないみたい。

家庭の井戸を飛び出て始めて、自分の人生が始まるんじゃないかなって思ったりする。

もちろん、井戸から出たセカイを望むのかどうかは、個人の自由だ。

今日の仮説・叩き台
『管理するためには、井の中の蛙になってもらったほうが都合がいい。』
『生活してきた環境の移り変わりの分だけ、井戸を逆順に出て行くしかない。』
『すべての井戸を出て始めて、自分の人生が始まる。』

 - 仮説・叩き台 ,

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