満たされない想いとコップの水
人は誰しも、多かれ少なかれ、満たされない想いを抱えて生きています。
「もしも」の話をして盛り上がれるのは、そういった想いがあるからです。
ですが。
想いが満たされたら、幸せかというとそうではありません。
満たされることと幸せには関連性がないのです。
コップの中に水があります。
あと一口飲んだらなくなりそうです。
この時、人は不幸だと感じてしまいがちです。
では、コップに並々と水を注いでみましょう。
幸せでしょうか。
別に幸せにはなりません。
コップの水が増えただけです。
飲んで幸せだと感じたとしましょう。
しかし、飲めば減ります。
すると、また不幸に感じるのです。
無限に水が溢れ出るウォーターサーバーがあるとしましょう。
すると今度は、水に対する興味がなくなるのです。
心配する必要がなくなったからです。
水について心配しつづけないといけないのは、不幸かもしれません。
しかし、水について心配しないでいいことは、幸せとは呼ばないのでしょう。
(心配しつづけている人にとっては当然、幸せに見えますが。)
お金も同じです。
あるだけでは幸せではないのです。
使って初めて幸せになるのでしょう。
では、無駄使いをして、散財をして幸せだと思ったとします。
しかし、使えば使うだけお金は減るのです。
するとまた、不幸に感じるのです。
どんなものも、満たされないと不幸に感じますが。
満たされても幸せには感じないのだと思います。
それが人間という生き物です。
- PREV
- 愛と権威と後天的性格についての研究
- NEXT
- それは本当にプライドか