疑うことと信じること
出来ることなら疑わずにいたい。でも、世の中には悪い人だっているから、それはたぶん無理。
誰のことも疑わずに、信じることができればどれほど良いだろう。
そんな風に思ってた。
と、ここで。
一旦、自分が騙された場合を考えてみた。
きっと、「信じてたのに!」って言うだろうなぁと思った。
でも、その言葉には、自分の責任で判断したんじゃなくて、相手に判断を任せたという状況が隠れているなぁと感じた。
つまり、自分の責任を放棄して、相手に乗っかったんだなと。
果たして、そんな自分に相手を責める権利があるか?って思った。
(もちろん詐欺とか、法に触れることなら訴える)
他にも、「話が違う!」って言うだろうなぁと思った。
でも、それもただの確認不足かもしれないなと。
つまり、信じるって、人に責任を押し付ける行為になりかねないんだなって思った。
だったらもうやめようと思った。
「信じる」って言葉で自分の責任を放棄するのはもうやめよう。
信じるために、たくさん疑おうって思った。
そして、たくさん確認を取ろうって思った。
そう。石橋を叩いて渡るくらいのね。
世の中には良い人も悪い人もたくさんいるわけで。
それに、いい人だって、借金を苦にして裏切ることだってあるわけで。
じゃあ、もう、相手がどうだとかやめちゃって、もう全部疑って、確認とってこう。
んでもって、信じるって決めた自分を信じよう。
そう思った。
だから、これからこのサイトに書いていく文章を、あなたには疑ってほしいと思っています。
だって、あなたを騙そうというつもりはないし、今の時点では正解だと思っているから。
明日には間違ってたと思うかもしれないけど、今は正解だと思っているから。
だから、今日からここには今時点での正解。つまり、仮説・叩き台を提示していこうと思う。
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