カセツ タタキダイヲ テイジス-仮説、叩き台を提示す-

現時点での暫定的な解答、仮説、叩き台をここに提示す

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脱・表現者

   

演劇をやめてから、自分のことを役者と呼ぶのは違うなぁと思っていました。
(まぁ、そんなに深く演劇に関わっていたわけでもないんで、そもそも役者を名乗る感じでもなかった)

とはいえ、何かを伝える、表現するというのは、たぶん死ぬまで続けるだろうと思っていたので。
自分のことを「表現者」と呼ぶことにしていました。

一方で、新しい考え方とか、働き方とか、商品とか、サービスとか。
そういったものを生み出したいとも思っていました。
そういう意味で「発明家」とも思っていたし。
「現代アート作家」だなとも思っていました。

そんな中、ある人との会話の中で、「芸術家」というフレーズが出てきました。
そこで。表現者で、発明家で、現代アート作家ならば、それは芸術家だなと気づいたのです。
自分自身を「芸術家」と自負するのはなかなかハードルが高いのだけれど。

という前置きがあったうえで、こちらのブログを読んでいただきたいのです。
足りないのは時間じゃねぇな。

私の信頼するライヴハウス。
四谷OUTBREAK!の佐藤店長のブログなんですが。

そうなんです。
私が会話してたのも、このアサダマオさんなんです。

弾き語りでHIPHOPをするというね。

元々は普通に弾き語りしてたんですけど、HIPHOPが好きで。
練習してたら歌えるようになったんで、HIPHOPをやるようになったというエピソードがいいなぁと。

そんなアサダさんと話してたら。
いつまでも「表現者」という言い方に逃げてる場合じゃないなと。
いよいよ「芸術家」を自負しようと思っています。

ハードルは高いのですが。
もともと目指している場所が高いので。
そこまで行くためにも、芸術家を自負しようと思います。

今日の仮説・叩き台
『肩書に意味があるのではなく、肩書を背負うことに意味がある。』

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