議論の終着点
今まで幾度となく『議論』というものをしてきた。
だけど、思い返してみると
「『議論』してよかったなぁ」
と思うことがあまりにも少ない。
むしろ
「これ、『議論』する必要あったか?」
と思うことのほうが圧倒的に多い。
今日はそんな話。
『議論』が始まる理由を考えてみると、いくつかのパターンに集約される気がする。
・前提が異なる
・主題(いちばん気にしてる所)が異なる
・言葉の定義が異なる
・「100%」「絶対」「必ず」というフレーズに対する反感
だいたいはこれくらい。
要するに『議論』に入る前の段階の話と、言葉の綾の問題。
これらの問題を解消して、なお続く『議論』では、「正義と正義の対立」になっていることが多い。
つまり、どっちも正解パターン。
最終的に「なるほど、そういう考えもあるね」で終わるやつ。
だから。
『議論』じゃなくて、質問とか相談とか提案でいいんじゃないかなって思うこともしばしば。
なので、たぶん、『議論』って必要ないと思う。
あと、これは私に限った話かもしれないけど。
(理系出身であることもあり)論じ方が形式張ってるので、ものすごく冷たい意見のように感じるらしい。
最終的に「そんな言い方しなくたっていいじゃん」になることも多い。
今日の仮説・叩き台
『『議論』は、対話が失敗するシグナル。』