戦争反対デモから見えること
『なぜ学生はデモをはじめたのか?』というのがずっと謎だった。
でも、ようやくその理由が分かった。
まず、抱えていた疑問について整理する。
「イノベーター(新しいことを始める層)」や「アーリー・アダプター(新しいものにすぐに飛びつく層)」がデモをすることに疑問はなかった。そもそも、そういう特性があるから。
しかし、今や「アーリー・マジョリティ(ある程度以上の流れが出来上がってから追随する多数層)」がデモに参加しているように見える。
これはなかなかすごいことなのだ。
キャズム理論というのがある。
「イノベーター」や「アーリー・アダプター」たちと、「アーリー・マジョリティ」の間には大きな溝があって。
「イノベーター」や「アーリー・アダプター」が増えて飽和したとしても、なかなか「アーリー・マジョリティ」は参加しないよ。
という理論だ。
つまり、私が抱えていた疑問というのは。
何が「アーリー・マジョリティ」を動かしたのだろうか?というものだ。
その答えがネットにあった次の意見で解決した。
『今、行われているのは「戦争反対デモ」であって「平和賛成デモ」ではない。』
その意見を聞いて、ハッと気づいた。
「アーリー・マジョリティ」は、戦争に反対なのだ。
戦争が始まれば、戦場にいかなくてはならない。
あるいは、夫や子供を戦場に送らなくてはならない。
それを回避しようとしているのだ。
つまり、自分自身や身近な人を、戦争で殺されたくないのだ。
(もちろん殺したくないという気持ちもあるだろうが、いざ戦場に行けば緊急避難的に殺すだろう)
つまり、理想を目指そうとしているのではなく、危機を回避しようとしているのだ。
どっちがいいとか悪いとか。
そういう意見は一旦置いておく。
ただ、間違いなく「危機を回避する」ほうが力は強い。
「理想を目指す」のは「より良く生きる」ということで。
「危機を回避する」のは「生存本能」に近い。
より根源的なものなわけで、シンプルだ。
だから「危機を回避する」ほうが力は強い。
よって、このデモは終わらない。
時間が立てば忘れられるものではなく、より強くなる。
私はこの一年くらい、安倍首相がいつ暗殺されてもおかしくないと思っていた。
でも、そうならなかった。
私はそれを喜んでいた。
暴力で解決しようとする人がいなかったからだ。
(そもそも解決しようとしていた人が少なかったという考え方もある)
ただ。
もし、今後も安倍首相が同じように強硬姿勢を貫き、戦争に向かっていくならば。(そう見える選択を続けていくならば)
安倍首相を暗殺しようとする人は出てくると思う。
何故ならば、平和を目指す人ではなく、戦争に行きたくない/行かせたくない人たちが大勢デモに参加したからだ。
戦争に殺されたくない人たちがデモに参加しはじめたからだ。
だからもし万が一。
暗殺者が出てきたとしたら、その人は犯罪者ではなく英雄になる。
社会的にはどうだかは知らないが、「アーリー・マジョリティ」にとっては英雄になる可能性がある。
(「イノベーター」や「アーリー・アダプター」にとってはそうではないかもしれない)
政治的な意図をもって犯罪を犯すことをテロと呼ぶ。
今後は「国家間の戦争」から「テロリストとの戦い」に変わっていくだろうという意見があるが、それが日本でも起こる可能性を示唆している。
正直言って、非常に厄介な事態に向うことになる。
だからデモをやめろと言っているわけではない。
デモをする権利は正当なものだ。
ただ、「打倒!安倍」という考え方は紙一重になる。
「安倍首相=諸悪の根源」という考えから生まれる、「悪を叩く我らが正義」という考え方は、戦争につながるからだ。
憎しみは争いに繋がっているからだ。
戦争に行きたくないという気持ちが強すぎて。
結果、戦争に向かうという皮肉な結果につながる道を歩みかねない。
改めて、平和に向かおうという気持ちを持っていきたい。
戦争反対ではなく、平和賛成に向かおう。
じゃないと、取り返しの付かない、大きな過ちを犯すことになる。
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