カセツ タタキダイヲ テイジス-仮説、叩き台を提示す-

現時点での暫定的な解答、仮説、叩き台をここに提示す

*

それはそれとして

   

つい、順接や逆接の接続詞を使いたくなる。
つまり、『だから』や『しかし』など。

でも、ふと。
順接や逆接で語ろうとしすぎなんじゃないかな?と思い始めた。

例えば、「僕らは生まれながらに孤独だ。」の後につける接続詞は。
おおよそ『だから』とか『しかし』とかだったりする。
それを、いっそのこと『それはそれとして』にしてみようというのが今回の仮説だ。

「僕らは生まれながらに孤独だ。だから…」
「僕らは生まれながらに孤独だ。しかし…」
「僕らは生まれながらに孤独だ。それはそれとして…」

「僕らは生まれながらに孤独だ。」が持っている特有の空気感が台無しな感じが否めない。
けれど、その空気感は果たして重要なのだろうか?と疑問を持つためには便利だなと気づいた。

悩んでいることやネガティブな思考に囚われている時には、思ったことを口にして。
そして、直後に「それはそれとして」を言ってみるといいんじゃないかなって話。

言ってみれば
「それはそれとして」というフレームワーク。

今日の仮説・叩き台
『「それはそれとして」と言うことによって、それまで囚われていた思考から離れることができる。』

 - 仮説・叩き台 ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
PREV
横一線
NEXT
嫌い

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です