何かしらのプロになる必要性
ちょっと前のこと。
インターネットが発達して、誰もが作品を発表できるようになって、その結果、CDとかが売れなくなって、ミュージシャンとか芸術家が職業として成立しないんじゃないかって話が出始めた頃。
もう何かのプロを目指すのをやめて、別の職種で雇われて働きながら、セミプロのような形で作品を発表し続ければいいじゃないか。
みたいな話がメディアの中で、少しだけ盛り上がったことがありました。
ここで言う「プロ」が、職業として生計が成り立つ人って意味なんだろうなぁとは思ってるんですが。
正直この考え方には猛反対です。
あぁ、いや。主な収入源に関してはどっちでもいいのですが。
人は「何かしらのプロになる必要がある」と思っています。
人が成熟するためには、「何かしらのプロになる必要がある」と思っています。
「何かで一流になる必要がある」と言ったほうがいいのかもしれません。
理由は簡単で。
一流になるためには、ありとあらゆる失敗を経験する必要があるからです。そして、結果的に、それに対する対処法を見つけているからです。
ざっくり言えば、修羅場をくぐってきた経験があるということです。
修羅場をくぐってきた人って。
どんな仕事であろうとも、考え方はアマチュアとは違います。
セミプロとは違います。
少なくとも、予想不可能な大問題が定期的に訪れることを知っています。
この一点を知っているだけでも大きな違いです。
頭でだけはなく、心で理解しているので。
そのための準備をしようと思えるし、実際に行うんです。
その差が、大きな結果の違いになります。
だから、セミプロではダメなのです。
セミプロとプロの間には、技術だけではない大きな隔たりがあるのです。