「有機的交流」格差社会
金銭的な格差社会って嫌だなと思うのです。
でも、それでも致命的ではないのかもなと思うことがあります。
それは、例えば、売れない芸人が先輩にごちそうしてもらってるような状態。
もしかしたら、私よりもいいもの食べてるだろうなって思うわけで。
それって、金銭的な格差というものさしでは見えない部分だぞ!と気づいたわけです。
だから、それよりも「有機的交流」格差社会のほうが致命傷になりうるのではないかと思い至るわけです。
(芸人さんの例がただの交流か、有機的交流化は見分けようがないわけですが)
有機的交流の度合が低い場所、あるいは無い場所にいて。
かつ、貧困であると。
生命の危機にさらされるだろうと思っています。
それは、有機的交流の度合が低い/無い場所では。
生命を維持することへの負荷が高く。
貧困から抜け出すチャンスも少なくなるから。
日本の未来を想像してみると。
「有機的交流」格差は広がる一方なのではないかと思うわけです。
そして、それ自体が、個々人の将来に重大な影響があるのではないかと思いいたったわけです。
今日の仮説・叩き台
『それは、有機的交流の度合が低い/無い場所では、生命を維持することへの負荷が高く、貧困から抜け出すチャンスも少ない。』
『有機的交流の度合が低い場所、あるいは無い場所にいて、かつ、貧困であると、生命の危機にさらされやすい。』
『現在も「有機的交流」格差は広がる一方である。』