ひとりきりのセカイ
もし、世界が、誰か一人の想像の産物だとしたら。
それは、まさに想った通りの結果しか起こらない。
神、みたいな人がいるならば、そうなるだろうという話。
部屋で一人閉じこもっている人は、神になろうとしているのだと思う。
つまり、想う通りのことしか起きないセカイを作ろうとしている。
想ってもみないことが起きたなら。
それを否定する。
そうしないと、自分のセカイを否定しないといけないから。
(まぁ、これは一人で閉じこもっている人のうちの、一部の話だとも思うけれど)
翻って、社会に出て生きている人たちは。
一人でセカイを作っているわけではないので。
想ってもみないことが起きる。
つまり、予想だにしないことがたくさん起きる場所にいる。
そこに神がいようといまいとどっちでもよくて。
いろいろなことが起きる。
いいことも悪いことも起きる。
自分の予測が裏切られることだってある。
それを悔やむこともあれば、喜ぶこともある。
でも、別にいいと思う。
それでいい。
それが、一人ではない社会で生きるということだから。
もし、それでも、想う通りのことしか起きないセカイを作ろうとするならば。
それは、集団でセカイを作ろうとしているだけのこと。
あまりにおこがましい話だと思う。
そうやって、作られたセカイは、ディストピアになっていくのだと思う。
今日の仮説・叩き台
『世界は想い通りにならない。それが大切だ。』
『もし、想い通りの世界を作ろうとするなれば、それはディストピアとなる。』