やっぱり、運と不運の量も同じだと思った。
以前、「幸運と不運の量は決まっていてもおかしくない」と書きました。
だけど、「幸せと不幸の量」と同様、幸運と不運の量は決まっていないのではないかと思い始めました。
それは例えば、「ピンチとチャンスが紙一重」だということからも分かります。
突発的に起きるイベントのことを、チャンスと呼んだり、ピンチと呼んだりしている。
その呼び分けは、その時のテンション次第。
って、ところではないでしょうか。
つまり、何が言いたいかと言うと。
「自分が自分でいることは、とてもラッキーなこと」なんですよ、きっと。
今日の仮説・叩き台
『突発的に起きるイベントのことを、チャンスと呼んだり、ピンチと呼んだりしている。その呼び分けは、その時のテンション次第。』
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