カセツ タタキダイヲ テイジス-仮説、叩き台を提示す-

現時点での暫定的な解答、仮説、叩き台をここに提示す

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希望を求めて増やす傷

   

昔、サークルで芝居をやってた時。(つまり、震災が起こるだいぶ前の話)
時代劇をやりたいっていう人がいて、オレはその良さが全く分かってなかったので、聞いたんです。
「なんで時代劇やりたいの?」って。

そしたら。
その時代の人たちは、いつ死ぬか分からなかったから、熱く生き抜いていた。
って、言うんです。

それを聞いた僕は「明日死ぬかもしれない中で熱く生きるのはなんと簡単なことだろう」と思いました。

それまでの僕は圧倒的な退屈の中で生きていたので。
生きる意味とか考えもつかないくらいの退屈の中で生きていたので。
幼児期の最初の記憶は「退屈」だったので。

その中で生き続けるほうがはるかにサバイバルだったなと思っていました。
そんな死から隔離された世界で、どう生を全うしようかと考えていました。

そう考えると。
リストカットという方法は、生を意識する方法なのだなと。
そのように気づいたわけです。

ただ、それが最善の策とは到底思えなかったので、やりませんでした。
熱めの風呂に入ればほぼ同じ効果が得られると思ってますから。

そんなんだからかなぁ。
人生が動き始める少し前は、心にたくさん傷をつけてた気がするな。
それが望んだものだとは思わないけど。
それで生を強く意識してことは間違いないな。

未だに、思うのは。
あのクソつまらない退屈というサバイバルを、いつか最高に面白いストーリーに仕立てあげたいってこと。

どうやったら、それができるのか。
死ぬまでには書き上げたいなと思ってます。

今日の仮説・叩き台
『死を意識することが生きる原動力になることもある。』
『退屈は生を邪魔する。』

 - 仮説・叩き台 ,

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