カセツ タタキダイヲ テイジス-仮説、叩き台を提示す-

現時点での暫定的な解答、仮説、叩き台をここに提示す

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平和な日本

   

数日前、終戦記念日がありました。
それにあたり「日本が平和になって70年」みたいな意見を幾度か耳にした。

それにすごく違和感を感じた。

確かに戦争のような、圧倒的に平和を乱すものはないかもしれない。
けれど手放しで平和だと言えるほど、平和なのだろうかと感じてしまった。

粘着テープで巻かれて殺された少女のニュースを見たり。
歩道にトラックで突っ込んだ池袋のニュースを見たり。

別にいたたまれないニュースにだけフォーカスすることもないけれど。
そういった、平和とはかけ離れた事件が起きているのも事実でなわけで。

「戦争さえなければ日本は平和だ」という論調には賛同しかねると感じている。

もちろん、些細ないざこざまでも含めて、平和に反するものと言えなくもないわけで。
度が過ぎるとこれもまた危険な考え方でもあるわけだけども。

ちなみに。
「平和ボケ」と揶揄する流れにも違和感を感じる。
だって、平和でもないんだから。
ただの「鈍感」としか思えない。

ちなみに。ちなみに。
政治家の仕事は「交渉をして、国民の利益を最大化し、かつ、国民の損害を最小化すること」だと思っているので。
仕事の出来ない政治家の言うことには反対です。

今日の仮説・叩き台
『戦争が無ければ平和という考え方には違和感を感じる。』
『平和ボケではなく、鈍感なのではないか。』
『政治家の仕事は「交渉をして、国民の利益を最大化し、かつ、国民の損害を最小化すること」』

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